嫌い≠存在否定(Koara)
1. 好き嫌いを伝えるのは難しい?
私が固定観念をくずしていくことで特に訴えたいのは
「『相手を嫌う』ということは『相手を否定する』こととは違う」
ということです。
そもそも私は昔から
「好き嫌いを表現するのが、苦手な人が多いなぁ」
と感じていました。
特に「他人」に対して、「嫌い」だという感情を伝えるのは苦手な人が多いのではないでしょうか?みなさんは最近誰かに
「あなたが嫌い」
「おまえが気に入らない」
などと伝えたことはありますか?・・・ここまでストレートに言える人はおそらくほとんどいないでしょうね。私も無理ですし、ここまでは必要ないと思います。では
「君のこういう性格は好きじゃない」
「あなたのこういう所は直してほしい」
ぐらいならばどうでしょう?・・・おそらくこの程度でも、伝えたことがある人は少数派なのではないかと思います。
裏で
「あの人ってこうだよね」
といった話はできても、本人に直接伝えるのはなかなかできないですよね。仮に、自分が被害を受けていたとしてもはっきり伝えるのは難しいという人が多いと思います。
2. なぜ難しいのか
ではどうして伝えられないのでしょうか?
伝えにくい理由について、周りの人に聞いてみたところ、
「嫌いなところを伝えて嫌われるのが怖い」
「好きなところを伝えるのに比べてハードルが高い」
「相手を否定しているようで嫌だ」
という意見が聞かれました。私も基本的には共感できますし、みなさんも程度の差こそあれ、同じような感情を持っているのではないかと思います。
しかし、私が最も違和感を持っているのもここなのです。周りの人の意見を聞いていると、まるで好き嫌いを伝えるのは悪いことのようです。ですが、本当にそうでしょうか?人間である以上、好きなものがあれば嫌いなものがあるのも当たり前ではないでしょうか?
私は好き嫌いはあくまで個性の一つであって、否定されなければならないものではないと思っています。みんながみんな、嫌いなものを持たず、すべてを受け入れるような世界は、平和なのかもしれませんが、どこかいびつで気持ち悪いものに感じてしまうのです。
好き嫌いがあるのは当たり前のこと。問題は私たちが嫌いになったり、嫌われたりすることにあまりにも敏感すぎることにあるのではないでしょうか?
そして、そうなってしまう理由は冒頭で述べた
「『相手を嫌う』ということは『相手を否定する』こととは違う」
というのを誤解している人が多いことにあると考えています。
例えば、とある小学校でいじめが起こっているとします。いじめの原因はさまざまだと思いますが、仮にここでは性格の不一致だとします。クラスのガキ大将的存在であるA君が、クラスメイトのB君の性格にどうしても気に入らないことがある、というようなパターンです。
この場合、別にA君とB君のどちらが悪いとは言えません。A君にとってB君の性格はルーズすぎたり、あるいは真面目すぎたりといった合わない部分があるのでしょうが、それはおそらくB君にとっても同じことでしょう。
しかし、お互いに対して、嫌いという感情があること自体が悪いとは私は思いません。上でも述べた通り、それはあくまで個性の一つであり、A君、B君にそれぞれの性格がある以上、仕方のないことだと思うからです。
ところがいじめというのは、「嫌い」を飛び越えた感情表現です。「死ね」などといった相手の存在を否定する言葉や行為を用いて、相手の人格を完全に消滅させようとしてしまいます。
私が危険だと思うのはこのように、嫌いという感情が相手の存在を否定することにつながってしまう時があることです。嫌いだからといって相手の存在を否定するのではなく、相手には相手の人生や、価値観、考え方があるのだ、ということを理解した上で、嫌いになればいいのです。
「あいつは嫌いだ。いなくなってしまえばいいのに!」
ではなく
「あいつはこういう考え方をしているんだろうが、それはぼくは気に入らない」
となれれば、相手を否定せずにすむのではないでしょうか。
相手に対する尊重があれば、嫌いな部分の伝え方もおのずと変わってくるでしょうし、受け手側もより素直に聞けるようになるはずです。そうした変化がゆくゆくは根本的な人間関係の改善につながるのではないかと思います。
Koara