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S&Kのブログ

世の中の思い込みを検証していくブログ

学校の先生は要らないのか?(Shin)

「学校の先生は必要ないのでは」という主張をよく耳にします。

確かに、従来の先生の価値は下がってきていると思います。ですが、それは、文科省が目指す新しい教育システムにおいても同様ではないでしょうか。

 

1、「学校の先生は要らない」という考え 

「学校の先生は要らない」という主張の背景として、暗記型の教育が動画サービスによって代替されつつあることが挙げられます。

確かに、東進、スタディサプリ等、様々な動画学習サービスが登場しています。特に、オンライン学習の場合、画一的な授業にならず個人のレベルに合った教育を提供しやすいというメリットがあります。

また、経済が不安定で未知な環境への対応が求められる現代において、従来の暗記型教育が合わなくなってきていることも背景の一つです。

そこで文科省も、アクティブラーニングや、答えのない問題を解決する力を重視するように変わってきているのが現状です

 

2、学校の先生が本当に教えるべきこととは?

とはいえ、学校の先生の必要性を否定する人も文科省の役人も、学校の先生の価値を、スキル・知識といった、いわゆる「頭を良くするために必要な能力」に絞って考えている点は変わりません。しかし、先生の価値とは、本当にこれだけでしょうか。

前回のブログでも書いたように、「何か一つの事に打ち込み、目標を設定して成果を出す」という経験は、従来、そしてこれからの教育制度では身につかないでしょう。また、対人関係の能力(ex.友達を作る、人に興味を持ってもらう)も同様です。あるいは、マイケル・サンデルの授業のような哲学を身につける機会、投資や金融といったお金に関する常識を知る機会、社会問題に興味を持つ機会もありません。

今の時代において、学校の先生が本当に教えるべき事は、このような分野なのではないでしょうか。

 

3、なぜ、学校の先生が教える分野が変わるべきなのか?

従来の教育・文科省が目指す新しい教育で身につく能力をあげると、以下の二種類になります。

 

①従来の暗記型知識:数学、社会、国語など

②暗記型知識を活用するためのノウハウ:問題解決力、論理的思考力など

 

これらの能力は、豊かな生活を送るために必要であることに変わりはないです。しかし、学校で教える必要性は低くなっていくと私は考えています。なぜなら、①は参考書、動画サービスの普及によって勉強コストが著しく低くなってきているうえ、②も、授業で学ぶというよりも部活、趣味、ボランティアを通して学ぶ方が効率的だからです。

ですが、先ほど例に挙げたような能力・知識は、教育すべき分野としてあまり認知されていないため、まだまだ勉強コストが高く、自然と身につけている人とそうでない人に二極化しやすい分野だと言えます。

 

➂教育すべき分野としてあまり認知されていないものの例

・熱中できる趣味、勉強分野を見つける機会

・一つの物事に打ち込み、目標を設定して成果を出す経験

・お金に関する常識

・マイケルサンデルの授業のような哲学

・社会問題に対する関心

・対人関係の能力

 

4、教育サービスとして認知されていない分野だからこそ学校で教えるべき

教育基本法第1条に記載されている「教育の目的」は、以下の通りです。

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

この目的を達成するためには、学校の先生が提供する価値が変わっていく必要があります。従来、公的事業として提供されていた教育分野は、民間事業に代替されつつあり、勉強コストが低下しています。ですが、まだまだ民間事業として確立しておらず(=勉強コストが高い)、学校が教えるべき分野はたくさんあります

文科省の役人も、学校の先生も、もっと広い視点で教育のあり方を考えるべきではないでしょうか。

 

Shin