意味のある差別化(Shin)
会社の経営戦略を考える際に、他社との差別化が重要視されますが、企業によっては、ホントに意味のある差別化になっているのか疑問です。
そもそも差別化とは、競合と比べて顧客を獲得するための方法であるため、「差別化するポイント=他社では補えない顧客のニーズをつかんでいる、かつ、その顧客のニーズが大きい」である必要があります。
都心部にあるコンビニAが、近くのコンビニBから顧客を奪うために飲み物を充実させたとします。
これが意味のある差別化になるためには、徒歩10分圏内がターゲットとして、その範囲に“飲み物に対する感度の高い顧客が多い”ことが条件となります。
飲み物の種類が増えるほど便利になるように思いますが、あまり気にしない顧客が大半じゃないですかね。
彼らからすると、コンビニAもBも“同じ”ようにしか見えません。
では、出来立てのお弁当が食べられるようになったらどうでしょう。
コンビニで昼食を買うビジネスマンは多いです。いつも冷めたパンやおにぎりを食べるのではなく、たまにはあったかくて美味しいお弁当を楽しみたいと考えますよね。既存のお弁当も、レンジでチンできますが、出来立てに比べると味が落ちます。
だからこそ、この差別化戦略には意味があり、顧客からするとコンビニAとBは“違っている”ように見えます。
でも、このような意味のある差別化を考えるのは非常に難しいのが現実。
だからこそ、安易に「うちは差別化できている」と考えてしまうのではなく、「本当に意味のある差別化になっているか?」を自問することが重要なんです。
以上です
Shin
休日を二種類にして、需要を分散(Shin)
先日、休日を使って、埼玉の「おふろcafe utatane」という施設に行きました。
ofurocafe-utatane.com
ここは、温泉、レストラン、漫画喫茶、ホテルの複合施設みたいな感じで、お客さんは館内着に着替えて一日中ゆったりできます。テレビ、マッサージチェア、パソコン、Wifi、遊び道具(人生ゲームなど)も整備されており、完全に人を堕落させるサービスです。
しかも、フリータイムで約1300円(飲食代は別)なので、非常にコスパが良いです。
ただ、1つ問題なのが、土日は混んでおり、座ってゆっくりする場所が少ないことです。しかも、大半の人が一日中同じ所でぐだぐだしているので、スペースが空くことは少ないです。
「それだけ需要があるなら、施設を拡大すればいいじゃん」と思いますが、おそらくここに、店舗型施設の難しい問題があるんでしょう。
それは、閑散期とピーク期の需要の違いです。
おそらくここの施設、平日の利用者はぐっと減ると思います。もちろん、高齢者、暇な学生、主婦層の需要があると思いますが、施設が一杯になることはないでしょう。となると、土日祝日のために施設を拡大することは、コストになりかねません。
これは、店舗型事業に共通する課題です。
お昼や夜には行列ができる飲食店も、朝や午後は人がまばらです。
ホテルも土日祝日以外は、需要が決して大きくはありません。最近は訪日外国人の需要もあって、閑散期も需要が見込めますが。
ディズニーやUSJは、平日も混んでいますが、土日祝日は異様な待ち時間が発生し、お客さんの不満がたまりやすいです。
で、平日と土日祝日でピーク期・閑散期が別れるタイプの店舗型事業は、政策によって解決できるのではと妄想しました。
それが、二種類の休日の導入です。企業によって、土日を休みにするのか、火水を休みにするのかで選べるといった感じです。
そうすることで、需要が分散され、お客さんの満足度は高まりますし、混雑を嫌っていた人の需要が増える可能性もあります。企業としても、土地や施設といった固定資産を有効活用できるので嬉しいです。
これは、非現実的な案かもしれませんが、想像するとちょっと面白いですね。
ピーク期の分散だけでなく、通勤ラッシュの緩和にも繋がりますし。
もちろんデメリットもあって、周りと休みの日程を合わせづらくなります。本末転倒ですね。(←おい)
でも、毎週末誰かと遊ぶわけでもないので、そういう時は、柔軟に休日をずらすことができればいいんじゃないですかね。
ただの妄想ですが、決して的はずれな案ではないと思ってます。
以上です。
Shin
ビジネスにおける成功法則?(Koara)
「成功する人がやっている生活習慣」
「成功する人は何を考えているのか?」
「成功する秘訣」
などといった本は時代を問わず人気です。電車の広告や本屋の店頭、ネット広告などで見かけたことがある人も多いと思います。
こういった本が人気になるのはわかります。誰だって失敗するよりは成功したいと思うでしょうし、そのためには成功者の話を聞くのは良いことのように思うでしょう。
しかし、ここに落とし穴があります。成功について学ぶために、「成功者の体験」や「成功者の法則」を聞くことがよいとは限りません。
一般にこういう本には二つのパターンがあります。成功した著者が自分の経験について語っているものと、著者が何人かの成功者に取材して、共通法則を見いだし、語っているものです。
しかし、どちらも成功者についてしか語られていません。なぜなら、失敗した人は本を出せないし、インタビューを受けられたりもしないからです。
そして、ここにこそ問題があります。成功した人の習慣が本当に成功につながるのかどうかは「失敗した人が同じ習慣を持っていないか」を調べなければわからないのです。
想像してみてください。もしもこういった本の中に
「僕は毎日水を飲んでいたから成功できたんだと思います!」
などというフレーズがあったら、みなさんは
「なるほど!じゃあ私も毎日水を飲もう!」
となりますか?・・・おそらく、ならないですよね?
「え、水・・・?で・・・?」
となる人が多いのではないでしょうか?では
「私は毎朝1時間早く起きて、自分のための勉強をしていました!」
というのはどうでしょう?おそらくこちらのほうが納得できる人が多いのではないでしょうか。
この二つの違いはまさに納得のしやすさにあります。水はみんな普通に飲んでいるけど、早起きは確かに成功する人がやっていそうだな、ということです。
しかし、早起きが本当に成功につながるかどうかは、成功している人や失敗している人のうち、実際に早起きしている人が何人いるのかに依存して決まります。
例えば、成功している人が100人、失敗している人が1000人いるとします。そして、その中で早起きしている人が、成功者で90人、失敗者で10人だとすると、確かに早起きと成功の間には関係がありそうですね。(あくまでも「ありそう」というだけで本当にあるかどうかは細かくデータを分析しなければわかりませんが)
しかし、もしも失敗者の中で早起きしている人が900人いるなら、早起きして成功する確率も失敗する確率も大して変わらないことになります。この場合「早起きは成功に必要」とはいえないですよね?
ですが実際に本を書くのはその100人なので、それらの本の中で「早起き」について多くの人が触れていると、本当に早起きに意味があるように感じてしまうのです。早起きしながらも失敗した900人のことについては触れられじまいです。
つまり、「失敗したひとだって同じようなことをしていたのではないか」という視点を持って読むことが大切です。
誤解していただきたくないのですが、成功体験・法則・習慣について語った本が役に立たないと言っているわけではありません。しかし、そういった本で語られていることを妄信するのは非常に危険です。
ビジネス本に関するこの手の思い込みは様々な原因があるので、このブログでも何度か触れていきたいと思います。
Koara
存在否定の具体例(Koara)
今回は前回の記事に絡めて、最近みた映画の話をしたいと思います。
前回は「他人を嫌う理由に『みんながそう言っているから』という固定観念を使ってしまう」ことやそれが引き起こす弊害について書きました。
今回、それを踏まえて紹介したいのは2015年公開の『あん』という映画です。昨年末に視聴したのですが、いろいろと考えさせられました。前回の記事で書いた考え方をまとめられたのも、この作品によるところが大きいです。
ここでは、簡単なあらすじと私が考えさせられたシーンについてだけお伝えしますので、詳しい情報はホームページを参考にしてください。
この作品は、樹木希林さん演じる徳江さんというハンセン病の女性が、どら焼き屋の屋台で働き始めるところから始まります。アン作りの名人である徳江さんと屋台の雇われ店長は一緒にどら焼きを作り始め、お店は次第に繁盛しだします。しかし、徳江さんの病気のことがどこからか広まってしまい、客足も徐々に減っていき・・・、という展開です。
この中で、私が取り上げたいのは、徳江さんの病気のことを聞きつけたオーナーが徳江さんを解雇するよう店長に勧めるシーンです。
細かいセリフは覚えてませんが、この店長、決して直接的な言葉は口にしません。
「ハンセン病の人は困るから、首にしてほしい」
「お客さんに知られたら大変だ」
などとは言わないのです。ただあいまいに
「ハンセン病って移るらしいし・・・」
などと言うだけなのです。きちんと事実確認をしたわけでもないことを、「みんながそう言っているからそうなんだろう」という理由で告げているだけです。(ハンセン病は治療法が確立されている上に感染リスクは非常に低い病気です。)
これが前回の記事でお伝えした、相手に反論を許さずに存在否定をすることの具体例です。
あいまいな言い方は言う方からすれば楽ではありますが、言われる方からすると禁じ手のようなものです。
他人に何かを要求するときは、なるたけ自分なりの理由を見つけてからにしようと思わされた映画でした。
Koara
働き方改革に必要な考えの枠組み(Shin)
政府が推進している働き方改革について、思ったことをちょっと書きます。
労働時間に関連した企業のニュースは、これまでに色々ありました。
まずは、電通の事件
www.nikkei.com
次に、ヤフーの週休3日制導入検討
www.huffingtonpost.jp
他にも、ワタミの過労死自殺、すき家のワンオペ、スタートトゥデイの1日6時間労働などなど。
で、これらのニュースを見て思ったことは、政府は業態によって違う仕掛けを作る必要があるということです。
個人的には、「BtoC、BtoB」×「固定資産大、固定資産少」で分けて考える必要があるかなと思いました。
1、BtoB
まず、BtoBは企業から案件を受注してサービスを提供します。具体的には、アプリの受注開発、広告代理店、コンサルなどです。こういった企業には納期が存在するわけで、自社で労働時間を調整しにくいんです。(※もちろん、納期に縛られない事業もありますが。)納期を遅くするとサービスの競争力が落ちるため、労働環境を犠牲にしてでも案件を獲得しに行く競合に売上を持っていかれてしまいます。交渉力は、お客さんの方が大きいんです。また、仮に1日6時間労働を導入して労働生産性でカバーしようにも、現実的には厳しく納期に間に合わなくなるのが目に見えています。
例外は、例えば日本電産です。2020年までに残業時間ゼロを目指していますが、日本電産ほどの競争優位性があれば、納期に関する交渉力も上がるので可能です。(電通は、マスメディア系では絶対的な交渉力を持ちますが、高橋さんが所属していたインターネット広告系の部署は競争が激しい業界です。)
まとめると、競争力が高い一部の企業、納期が存在しないタイプの企業を除いて、BtoBの企業は自ら労働時間を改善することが難しいと言えます。
解決策としては、過度な労働環境悪化に繋がらない条件で案件を受注できるように、企業を保護する制度を作るとかでしょうか。でも、外国企業と比べた競争力が落ちますね。。。んー、そうなると、できる限り労働生産性を高めるか、適正な規模の案件を受注するしかないのかもしれません。
2、BtoC×固定資産少
BtoCは、消費者に直接商品やサービスを提供する業態ですが、これは、固定資産(店舗、車両など)の割合の大きさで区分する必要があります。
まず、BtoCの中でも「固定資産少」のタイプ。労働時間改革に向けて、先陣を切っているヤフーやスタートトゥデイが含まれます。このグループは、サービスを効率よく消費者に届ける仕組みを作ることで、ホワイト企業になりやすいです。
なので、「BtoC×固定資産少」の業界は、あまり心配する必要がないですね。特に、知的産業が多い業界なので、労働時間が売上に結び付くとは限らないですし。
3、BtoC×固定資産大
BtoCで、問題なのは「固定資産大」のタイプです。問題になった、すき家、ワタミの他に、タクシー業界、ホテル業界、小売業界などが含まれます。このグループは、放っておいても、建物、車両、人に関する費用が膨大にかかるので、利益をあげるためには営業時間をのばすことで資産をフル稼働する必要があります。その上、この業界は人手不足の影響をもろに受け、それが労働環境を悪化させます。
ただし、「営業時間をのばす=労働時間をのばす」は必ずしも成立せず、自動化や人材配置等で対処できる面もあります。特に将来的には、自動運転や自動レストランの実現も見えているので、希望大です。
まとめると、「BtoC×固定資産大」の業界は、労働環境が悪化しやすいが自社での改善余地もあるといったところでしょうか。
4、まとめ
以上をまとめると、次のような表になります。
単純化した分析ですけど、議論の基本的な枠組みとして使えるのではないでしょうか。以上です。
Shin
嫌いにひそむ固定観念(Koara)
前回の記事では「相手を嫌うことと相手の存在を否定することは違うことである」ということについてお伝えしました。
それにつづけて今回は、「嫌い」という感情自体にひそむ固定観念について語りたいと思います。
人が誰かを嫌いになるときには、いろいろな理由が考えられます。
「性格が気に入らない」
「昔、いじわるをされたから嫌い」
「初めて会ったときから気に入らなかった」
などなどです。その中で私が問題ではないかと思っているのは、
「みんながそう言っているから」
「世間でそう思われているから」
というのを理由にするものです。
この場合、「嫌い」という判断を下しているのは自分ではありません。自分はただ周りの意見に流されているだけで、何らかの事実や信念にもとづいて嫌いだと決めているわけではないのです。ですので、嫌われている相手には反論や議論をする余地が残されていません。
なぜなら
「どうして私が嫌いなのですか?」
という問いに対して
「だってみんながそう言っているから」
とだけ答えられても、話し合いが進みません。
「昔、こういうことをされたから」
「あなたのこういう性格が気に入らない」
などと言ってもらえれば、改善したり、落ちどころを探したりできますが、
「自分にはわからないけど、みんながそう言っているから」
とだけ言われても、どうしていいのかわかりません。
なにより、相手を嫌う理由を他人のせいにするのは卑怯ではないでしょうか。相手に反論することを許さず、「嫌い」という感情だけをぶつけるのはあまりにも一方的です。仮に
「みんながそう言っているから」
というのを理由にしたいのだとすれば
「私はみんなの意見に従いたい。だからみんなが言っているほうにする」
と言ってもらえれば
「あなたはどうしてみんなの意見に従いたいのですか?」
と議論を進められます。
「みんなが言っていることだから正しい」
というのは固定観念にすぎません。みんなが言っているということを免罪符にするのは楽かもしれませんが、決して議論の発展にはつながらないのです。
次回は私が最近、見た映画からこの考えについて具体的に説明しようと思います。
Koara